「裏切られたって裏切ったヤツが卑怯になるだけだ。」
「私が相手を信じることと、相手が私を裏切ることとは何の関係もなかったんだ。」
出典
- アニメ:十二国記 第7話
- 制作・著作:NHK
- アニメーション制作:スタジオぴえろ
- 発言者:中嶋 陽子(主人公)
アニメ・シーンの概要
小野不由美さん原作の小説「十二国記」。つがらーも現在、少しずつ原作を読んでいるところです。アニメではオリジナルキャラクターがおり、やや展開が異なる部分もありますが、とにかくこのアニメ・小説は名言が非常に多い!このブログでも今後何度もご紹介することになると思います。
ストーリーはざっくり言うなら、1人の女子高生が異世界に飛ばされ、一国の王になる物語です。非常に内容の濃いアニメ、小説であり、個人的には人の上に立つことになる人間であれば、必見・必読であり、人間性を養う教科書になると断言しても良いと思えるほどに素晴らしい内容です。
今回の発言は、異世界に飛ばされた後に紆余曲折あり、人間不信に陥った陽子が人を信じることの重要性に気づき、己を惑わそうとする幻影に向けて放った言葉です。
つがらーの思うこと
裏切られることは誰にとっても不快であり、自分を裏切った相手は信じられなくなってきますよね。さらにその裏切りによって被ったダメージが大きかったり、数人の人から裏切られることを経験してしまうと、その裏切りが起きたシーンと似たようなシーンに遭遇すると人を信用できなくなってきて、ひどい場合は人を信じること自体が怖くなってきて、人間不信に陥ってしまう。
「裏切られた」と感じるのは、その相手のことを、そう感じた人が「信じていた」からに他なりません。そもそも信用していない相手であれば、どんなことをされても初めから期待もしていないので「裏切られた」とは感じないはずです。だからこそ、人間不信という言葉が示すように、自分が心的ダメージを被らないため、己の心を守るための防御機構として、人を信じることをやめてしまう。
しかし、今回ご紹介した言葉にあるように、卑怯なのは裏切った人であって、裏切られて辛い思いをした人に罪はないはずです。もちろん中には勘違いであったり、自分にも多少なりとも非がある場合もあるでしょう。その場合は、その勘違いを訂正したり、己の非を認めて相手に謝るとか、そういった行動をしないようにすればそれで良いはず。
結局、裏切られて人間不信に陥ってしまっては、己が損をするだけですから、人を信じるのをやめてはいけないし、そもそもその必要はないと励ましてくれる言葉だと思います。